何故『シン・ゴジラ』を繰り返し観てしまうのか
息子の催促で連日『シン・ゴジラ』を観ているうちに、どんどん火がついてじっくり観察するように私ものめり込んでおります。
ネタバレ満載ですから、ご注意を。


庵野監督って想像力の火種を散りばめるのがうまいんだと思っています。
たとえば交差点を歩いている人並みを見ても、ある人はアイロンがけに失敗して不機嫌だったり、ある人は失恋してまぶたが腫れているかもしれない。その他大勢で片付けられるような中にも、一人一人に個性と思考と人生のドラマがある。
そういう、一見当たり前のことを劇中でさりげなく再現するんですね。名前もセリフもない役でも、生きているし、小道具でもうまく背景にあるものをリアリティとともに表現してしまう。





上の画像は高橋一生さん演じる安田が「こんなんありかよ」とPC持って走り、尾頭さんに「ごめんなさい」と謝罪する場面ですが、その後ろで安田の真向かいの席にいる男性が、引っ張られたPCコードをきちんとまとめてあげてるんですよね。初見ではまず目に入らないであろうところに、単なる脇役にリアリティを持たせるあたりが好き。
核攻撃が決まったとき、袖原の後ろで机を叩く人もいましたね。顔も映らずピントも合っていないけれど、セリフがあるより心に響く。


牧元教授の顔写真、電器屋のテレビ画面、枚挙に暇がないですが、こだわりとリアリティの工夫を探し出すのが面白くて、ついつい何度も観てしまいます。
庵野監督のメッセージや遊び心がまだどこかに隠されているんじゃないかって、思っちゃう。


ちなみに私のお気に入りは津田寛治さん演じる厚労省の森課長。
泉ちゃんが集めてきた骨太のまとめ役。
カヨコがゴジラ情報を持ってきたとき、写真を撮ろうとする安田を止めていたし、モラルはあって冷静でもあると思う。
あの一癖も二癖もある人たちをまとめ上げられる器の大きさを泉ちゃんが認めてるってことなんだから、すごい。
巨災対が避難するとき、みんなに指示を出して自分は最後に女性職員のダンボールを持ってあげながら逃げるところで「好き」ってなったんですけど、カップ麺に手を合わせて「ごちそうさま」ってお辞儀しているあたり、最高ですよね。
霞が関のはぐれものだけど、絶対家ではいい夫であり、父なんだろうなって伝わります。





森課長がおにぎり片手に妻子の画像を待ち受けにしたスマホでメールを送る場面がありますが、すっごく手つきが不慣れ。
手書きのメモ帳を愛用だし、PCの周りに手書きの付箋張ってるし、アナログ人間な機械音痴かも。
メールもやたら下書きばかりで、なかなかうまく送れない模様だったし。
そんな彼が「よし!」と送ったメールには『昨日も帰れなくてごめん。はやく二人の顔が見たいな』しかも顔文字つき。
ちなみに奥さんの名前は尚子らしい。


帰れなかったのは仕事に必死だっただけではなく、千葉か埼玉あたりにマイホームあって通勤に時間かかるからで、奥さんたちは無事だった、とかいう裏設定だったらいいなぁ。笑
森課長のほのぼの親子二次創作あったら、ご一報ください(真顔


庵野監督の作品って考察したくなりますよね。
なんだか「人間ドラマとか恋愛入れてたら尺が足りないから、各自好きに妄想して補填してください」って言われてる気さえします。


石原さとみさん演じるカヨコもね、最後のほうになるとネイルが剥げてるんですよね。
そこにさりげなく緊迫した日々だったことが現れてるのが好きです。


そして来日したとき、お友達のパーティーからまっすぐ飛んできた彼女は、ダイヤのイヤリングをしていました。
しかしその次に登場するときからずっとパールのイヤリングになるんですよね。
日本のお葬式だと、基本的に結婚指輪以外はアクセサリーはダメだけど、涙を連想させるパールは身につけますよね。
アメリカの喪服事情は知らないけれど、哀悼の意もあるのかな。そうでなくても、非常時の緊迫性と共に、TPOをわきまえる性格も出てるなと思います。


そんな彼女のイヤリングはゴジラが凍結したラスト、矢口と二人で話すときにはダイヤのイヤリングに戻っている。
日常に戻った象徴なんでしょうけど、あのダイヤのイヤリングはパーティーにつけていったものでしたから、カヨコが自分をより華やかに美しく見せるために選ぶもので、それを身につけて矢口に会いに行ったということから下手に恋愛要素がなくても十分妄想はかどりますわ。


それぞれのメガネも個性に合ってていいなぁと思います。
あとはネクタイの良し悪しがわかれば、もっと楽しめそう。


小道具好きに庵野監督作品はたまらん、ということがよくわかりました。

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201712112100
映画『シン・ゴジラ』とインク
映画『シン・ゴジラ』が地上波初放送ということで、録画したものを観ました。
夫、映画館に6回も観に行ってBlu-rayも買ってあるのに、それでも録画予約してるという。
2歳の息子もゴジラが大好きなので、親子で鑑賞。


ヱヴァQのときも思ったけど、庵野監督って絶望感を描き出すの、天才的ですね。
しかもカメラワークというか、視点の切り替えがすごくいいなぁと思います。
『シン・ゴジラ』でも際立ってましたねぇ。
巨災対メンバーの登場シーンでカメラワークとセリフだけでメンバーのイメージ説明が数秒で終わってしまうところ、好きです。まるでコミックのコマ割りを思わせるコミカルさだなぁ、と。

それに、登場人物の矢口蘭堂が立川に着いたところが好きなんです。
カメラが手持ちなのかな、画面がすごい揺れてるんですよね。
だけどパソコンを設置するワンカットなど矢口が映らないところは固定。
で、また矢口が映って画面が揺れ、泉という登場人物が水を差し出すまでずっと荒いカメラワーク。矢口の心情とうまくシンクロしてるなぁ、と。
こういうところはアニメではなく実写ならではの良さなのかなぁ、と観ていました。

ゴジラを見上げる場面もたくさん出てきますが、車で逃げながらゴジラを見上げる人、立ち尽くしてゴジラを見つめる人、走って逃げる人の気分になれて、いろんな視点があるもんだと思います。冒頭も波に揺られながら船上に立っている人の視線になってますもんね。カメラマンってすごいですねぇ。


あと、音楽がよかった! ぞくぞくしますね。
立川に向かう矢口が憤りを見せる場面はスローモーションであえて声がなかったのもよかったですねぇ。





個人的に気になったのは、矢口のデスクにあるペンがどこのものかってことでした。
ツイッターで呟いたら、○○が近い気がしますってリプいただきました。リプくださった方にブログに書く許可とってないんで○○と伏せておきますが、すごいっすね。





あとは牧元教授の万年筆のインクがどこの何色かってことも気になります。
これは特定難しいですよね。茶封筒に書いているし。
ただ、牧元教授の顔写真は岡本喜八監督なので、もし岡本喜八監督の好きだったインクだったりしたら鳥肌ものですわ。
もっとも、岡本喜八監督が万年筆を愛用していらっしゃったかは存じませんが、想像するだけで楽しい(笑)

船内に宮沢賢治の『春と修羅』が残されていた設定になっていますが、おそらく別の意味をこめているとは思っても、それでも宮沢賢治の好きだったらしいブルーブラックだったら嬉しいなとも思います。

でも、こういうのって知らないほうがロマンかもしれない(笑)

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201711142204
黒澤明『赤ひげ』
夫が観ていたので横目で鑑賞していたら、そのうちまんまと引き込まれました。


黒澤明『赤ひげ』





加山雄三のにじみ出る若さと育ちの良さがナイスキャスティング。
それにしてもずどんとくる映画ですね。

終盤、本当に胸がつまりました。
井戸に向かって名を呼ぶシーンがあるんですけれど、あの無力さ、健気さが死を前にした人間を象徴しているように思えました。
人生は井戸のごとく。

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201507282113
ナウシカとサラバンド
昨日は親子で『風の谷のナウシカ』を鑑賞しておりました。





ラストシーンのオウムからナウシカに触手が伸びてくるあたりで『ナウシカ・レクイエム』という曲が流れますが、いつもヘンデルの『サラバンド』を思い出します。





オマージュなんですかねぇ。
どちらの曲も大好きです。




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201506071922
羽衣からの『かぐや姫の物語』
親しくさせていただいているイラストレーターさんのチルさんと羽衣伝説について話していた昨日。
羽衣伝説からかぐや姫に思考が飛んで高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を思い出しました。
とはいっても、あらすじは知っていても、まだきちんと本編観れてないんですけど。
だって子が月に帰ってしまうなんて、感情移入しちゃって辛くなる親ばかですもの。





ラストの音楽がなんでこれなんだって夫が言っていた気がします。
普通ならしんみり別れを悲しむところにアップテンポ。


隠された羽衣を取り戻して天に飛んで帰る女性の伝説がありますが、かぐや姫は羽衣で飛びません。
原作のかぐや姫は羽衣を着た後に車に乗って帰るんです。
かぐや姫の羽衣は穢れた卑しい世界の人間の情を忘れるための浄化装置みたいなもの。
原作でも、羽衣を着る前に帝に手紙をしたため、羽衣を着たらおじいさんを愛しく思う気持ちもすっかり忘れて車に乗ってさっさと天に帰るわけです。


かぐや姫は地上に降ろされたことが罰なわけで、迎えに来た天上の人々にしたら「こんな穢れたところからやっと解放されて良かったねぇ。あぁ、やだやだ。さっさと帰りましょ」と能天気かつドライなわけですね。
だからアップテンポの音楽なんでしょう。
月の都には争いや嫉妬といった醜い感情がなく、常に朗らかで平和で幸福。
だけど、人間は醜さや辛さ、哀しみがあるからこそ喜びや愛しさといった「もののあはれ」があるわけです。
天上の人にはそういうものはない。


なので、地上の人が涙にくれて別れを惜しむところを、あっさりドライに帰るようにもののあはれがない。
戦争も起きようがない人たちですよね。それを素晴らしいと思うか、欠陥があると思うかは『風の谷のナウシカ』の原作で墓に眠っている賢い新たな人間たちの卵に関する考えにも通ずるところがあるんだと思います。


観客は「ここでこの音楽?」と呆気にとられていいんでしょう。
だって私たちは地上の人間であって、月の世界の人間サイドには立てないから理解できなくていいんです。
それまでは人間の醜さと素晴らしさの両方を知って、帰りたいけど帰りたくない狭間で苦しむかぐや姫に感情移入しているわけですが、羽衣を着てアッサリ人間を捨ててしまえるかぐや姫にはなれないのでしょう。
この能天気な音楽は一気に私たちをかぐや姫サイドから地上の老夫婦や御門サイドに引き戻してくれるんでしょう。
実際、その場に居合わせたら「え、そんなアッサリ帰っちゃうん?」って呆然とするでしょうし、月の世界の人々との感性の違いをまざまざと見せ付けられるんでしょうからね。
ここではこういう音楽が流れるべきなんじゃないの? と想像できるような神妙な音楽は、あくまで地上の人の想定内のものであって、月の世界の人はもっと斜め上行くってことでいいんじゃないかと思います。


まぁ、きちんと観てないから、きっとそんな感じなんだろうなという予想ですけれど、やっぱり息子がどっか遠い世界に行く疑似体験をしそうで観れないわぁ……。
噂の御門の顎は見たいけど!




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201506050910
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